華谷忍の妄想科学哲学

日々妄想した「もしこうだったら」「実はこうなのでは?」ということを徒然なるままに。非科学的であろうとも考えてみる。がモットー。

宇宙の外にはなにがある?[3]

『華谷忍の妄想科学』。

 科学的に正しくないことであっても、「こう考えたらどうなるのかな?」ということをただただ書き綴っていきます。

 

 これを読んで、考えることって楽しい。って思ってもらえればうれしいです。

 

 前回から、我々が一般的に思い浮かぶ一番大きなモノである「宇宙」について考えております。

 「我々の宇宙の外には何があるのか?」について書いて、もう3回目です。

 前回の記事↓

shinobu-hanaya.hatenablog.com

 

前々回(初回)の記事↓

宇宙の外にはなにがある?[1] - 華谷忍の妄想科学哲学

 

 第3回目の今回は、前回に引き続き宇宙の外側についての場合分けの後編です。

 

【目次】

 

《宇宙の外側についての場合分け~後編~》

 前回は

① 宇宙の外側には、別の宇宙がある―Part1
② 宇宙の外側には、別の宇宙がある―Part2

 について書きました。では、3つ目は何でしょうか。

 

③ グラデーションのように境目が存在する。


 最後に、もしかしたら、「果て」自体は存在してはいるけれど、それは曖昧で他の宇宙とグラデーションのようにつながっている可能性も考えられることについて考えてみましょう。その場合、内と外の定義は難しいですが、境目から離れれば間違いなく「こっち側の宇宙」と「あっち側の宇宙」が存在しています。
 この考えに基づいて考えてみると、我々はほかの宇宙に苦労はすれど明らかに離れた場所にある宇宙よりはアクセスしやすくなります。境界が曖昧な地球の空と宇宙空間の行き来には大変な技術を要しますが、隔絶されたような物理的で目に見えるような壁は存在しないのです。

 すると、長距離、それも100億光年以上を移動するような技術さえ完成すれば、離れた宇宙より容易に他の宇宙へ行くことができるようになります。そこには、我々の常識を凌駕するような宇宙が広がっているかもしれません。
 もし、この可能性のように境界が曖昧であるとしたら150億年以上前に放出されたような我々の想像を超えるような昔の物質が地球に飛んできているかもしれないのです。それは何かもわかりませんが、あるとしたらいつの日かニュートリノのように観測によって発見される日が来ることでしょう。


 さて、ここで疑問が出てきます。それは、宇宙はビッグバンによって誕生したとするならばこの(果てがグラデーションの)可能性はおかしくないか。ということです。つまり、境界が曖昧な形で他の宇宙とつながっているのならば、ビッグバンが起きて一つのシャボン玉のように膨張していく過程は存在し得るのか。ということです。この疑問を解決しようするならば、一つの新たな可能性にたどり着くことができます。

 

・ビッグバンと果てグラデーション説を結びつける可能性1つ目

 それは、「宇宙同士が衝突している過程である」というものです。

 それならば、ビッグバン後にほかの宇宙と衝突して境界が曖昧になり始めているという説明もすることができる余地があります。
 宇宙の衝突については、今も宇宙で起きている銀河同士の衝突のようにいつか目で見て観測できる時代が来るかもしれません。もし、それを目にできるのならば私は目にしてみたいです。

 

・ビッグバンと果てグラデーション説を結びつける可能性2つ目


 この可能性について考えていくともう一つ言えることがあります。それは、「我々の宇宙の大きさを測定することは不可能である」ということです。

 境界が曖昧である以上、その先に広がっている空間もまた別のものとの境界を曖昧にしているかもしれないのです。

 ということは、宇宙は本当の意味で「無限の大きさ」を持っていると考えることもできます。

 それなら、我々が今日に至るまでに宇宙の正確な大きさを把握できていないことについて技術の進歩以外の理由から説明することができます。

 

 ここまで、宇宙の外側には何が広がっているのか。について考えてきました。③の仮定は外側という議論からは若干外れてはいますが、可能性を考えるうえでは個人的にぜひ述べておきたかったものです。

 ③の可能性は、要するに「そもそも宇宙に“果て”なんてものは存在しない」といっているわけですから、外側云々の話ではないことは明らかです。

 

 今回は以上です。

 次回はまた別の話をして、結論に結びつけようと思います。

 

華谷 忍

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