華谷忍の妄想科学哲学

日々妄想した「もしこうだったら」「実はこうなのでは?」ということを徒然なるままに。非科学的であろうとも考えてみる。がモットー。

宇宙の外にはなにがある?[4]

『華谷忍の妄想科学』。

 科学的に正しくないことであっても、「こう考えたらどうなるのかな?」ということをただただ書き綴っていきます。

 

 これを読んで、考えることって楽しい。って思ってもらえればうれしいです。

 

 過去3回では、我々が一般的に思い浮かぶ一番大きなモノである「宇宙」について考えております。

 「我々の宇宙の外には何があるのか?」について書いて、もう4回目です。

 

前回の記事↓

shinobu-hanaya.hatenablog.com

 

第1回目:宇宙の外にはなにがある?[1] - 華谷忍の妄想科学哲学

第2回目:宇宙の外にはなにがある?[2] - 華谷忍の妄想科学哲学

 

第4回目の今回で、このテーマについては終わります。

最終回の始まりです。

 

【目次】

 

《ホーキングの考え方をもとに》

 話は変わりますが、ここで一人の物理学者の考え方を持ち出してみようと思います。スティーブン・ホーキングという物理学者は、「宇宙人がいるのならば、我々はコミュニケーションをとるべきではない」というような旨のことを言っていました

 彼は、宇宙の始まりについて今我々が過ごしている「実数の時間」ではなくて「虚数の時間」からの説明を試みた物理学者です。時間の実数虚数についてはここでは論じません。何が言いたいのかというと、「宇宙人ならぬ「宇宙外生命体」が存在する可能性があるのではないか」「宇宙の外では我々の時間とは違う時間が流れているのではないか」ということです。

 

 もし、宇宙外に何かが存在するとしても、我々は現段階では接触しようだとか、その外へ出てみようだとか試みることは賢明ではないのかもしれません。なぜなら、ホーキングが危惧しているように、侵略された時、我々人類は食い物にされてしまうからです。

 もっとも、それは、向こう側が我々よりも優れた技術を持っていると仮定した時の話です。しかし、我々側にコンタクトをとれる時点で、宇宙に関して我々よりも高度な技術を持っていることはほぼ間違いないと考えることができるので、接触するべきではないのかもしれません。それが、仮に友好的な存在であったとしても、そうでない可能性もあるのですから。リスクがあることは避けようということです。

 

《まとめ》

 今回、私がこの「宇宙の外には何がある?」というテーマで文章を書いた理由は、「自分たちの住んでいる環境を有限なものとして考えてしまう」と、それ以上の進歩を我々はやめてしまうかもしれない。と考えていることがきっかけです。

 仮に、宇宙の外に何もない「無」の空間が広がっているとしても、このテーマで論じた可能性を否定することは現代の科学では誰にもできないことですし、突拍子もない考えであることは確かです。

 このような考え方を無意味な思考であると切り捨てる人もいるでしょう。それでも、私はそこの可能性がある以上は考えることを試みたいですし、それを否定するべきではないと考えています。

 

 ただ、宇宙の外側に何かある。ということを我々が観測し、そこにアプローチをかけようとすることは、私が期待していること、そして将来的になされるであろうことです。もちろん、現代の科学では難しいでしょうけど、今から60年前には宇宙に人間が行くなんてのはまだ実行されたことではなかったわけです。

 さらには、人間はそもそも自分たちの国の外の海を渡った先にほかの国の陸地があるだなんて太古の昔は知らなかったわけですし、地球の形でさえ数百年前まで球体ではないという説が当たり前に論じられていました。

 人間は、自らの認知できる範囲をどんどん広げてきているのです。人間の技術の進歩のスピードが指数関数的ともいえるほど加速度を増しており、宇宙の外について何かしら情報を得る時代が来るのはそう遠くない未来かもしれません。

 宇宙の外側には何があるのか、そのテーマについて考えるとあらゆる可能性が考えられ、ただでさえとてつもなく広く大きな地球の外に、さらに広がる世界はとてつもなく広いものであるということが分かっていただければ幸いです。

 

 以上で、「宇宙の外にはなにがある?」について終了です。

 次回は何について論じるか決めていませんが、お楽しみに!

 

華谷 忍

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