華谷忍の妄想科学哲学

日々妄想した「もしこうだったら」「実はこうなのでは?」ということを徒然なるままに。非科学的であろうとも考えてみる。がモットー。

宇宙の外にはなにがある?[2]

『華谷忍の妄想科学』。

 科学的に正しくないことであっても、「こう考えたらどうなるのかな?」ということをただただ書き綴っていきます。

 

 これを読んで、考えることって楽しい。って思ってもらえればうれしいです。

 

 前回から、我々が一般的に思い浮かぶ一番大きなモノである「宇宙」について考えております。

 今回はずばり、「我々の宇宙の外には何があるのか?」についてです。

 

【目次】

 

《宇宙の果てに関する場合分け》

 前回述べたのは、宇宙の成長もしくは縮小の仕方についての3つの説を扱いましたが、膨張するにしても縮小するにしても、それは形があるから論じることができることです。形がないのに膨張だの縮小だのという話は出てきませんからね。

shinobu-hanaya.hatenablog.com

 

 ということは、我々の宇宙には「果て」が存在すると考えて不自然ではないのです。

 簡単に言えば、壁です。我々の宇宙がシャボン玉だとしたら、そのせっけん液で作られた膜の向こう側があるということです。

 「宇宙に果てがある」と仮定したときに、始めて今回のテーマである「宇宙の外側」について考えようという興味が出てきます。そんな興味湧かないよ。という方もいると思いますが、私個人としてはとても気になることです。ですから、テーマに選びました。

 

《宇宙の外側についての場合分け~前編~》

 では、宇宙の外側についてここではいくつかの場合に分けて考えてみたいと思います。

 

① 宇宙の外側には、別の宇宙がある。Part1

 まず最初に挙げるのは、「我々の宇宙の外には、別の宇宙がある」というものです。ちょうど、シャボン玉のようにいくつも空間にふわふわと浮いている状態を想像してもらえればわかりやすいと思います。

 これは、物理の世界でも「多元宇宙論」として論じられていることです。パラレルワールド(多世界的解釈とか平行世界)というのも、この多元宇宙論に含まれるような議論です。
 もし、宇宙の外側に何かしらの空間があると仮定して考えるのならば、何かしらの方法を使えば、我々はその空間や、その空間に存在する別の宇宙に行けることになります。

 その手段が実在するか、実現可能かは別として。存在するのならばそこにアクセスする手段があると考えるのは何も不思議なことではありません。

 もちろん、その手段が存在しないと考えるのも、何も不思議がることではありません。要するに、我々の解釈を超越しすぎていてわからないのです。

 これについては、数学的に証明はできるのかもしれませんが、これは私にわかるような平易な学問ではないのでここ議論することは申し訳ありませんができません。
 そこにアクセスする手段として、皆さんも知っている言葉を持ち出すと、ブラックホールやホワイトホールです。滑稽な感じで書くと、ブラックホールに「わー」と吸い込まれて、ペッと吐き出されて「うげっ」ってなった先が別の宇宙かもしれないのです(気になる人は“ワームホール”で調べてみてください)

 ワームホールについては、観測や実践のしようがないので、本当に可能なのかはわかりませんが、物理の世界では可能性の一つとして研究されていることです。数学的に存在すると予想されていることと、実際に存在するということは別問題なので、ホワイトホールが存在しない可能性は十分にありますし、現在では否定的な見方のほうが強いそうです。

 ちなみに、ホワイトホールは存在しているとしても、その姿は観測できないとされています。光でさえ逃れられないブラックホールと対になるものですから吐き出す速度も光速以上だと仮定することができます。

 ここで、相対性理論の話が出てくるのですが、光速に近づくにつれてその移動している物体に関して、相対的時間は止まって見えるようになります。これは、加速に使うエネルギーが光速に近づくにつれ質量のほうに回されてしまうためです。

 つまり、加速を続けると、一定のレベルまで来たら加速は鈍くなりただただその物体の質量が増していくということです。ということは、ホワイトホールから吐き出されたものは、外から見るとある程度の距離で止まってみるようになります。

 すると、ホワイトホールを中心に吐き出されたものに囲まれてしまうように見えるのです。したがって、直接ホワイトホールを観測することは不可能である。という考え方ができます。

 我々の宇宙の外に空間があって、そこに風船のように離れて存在しているのか蜂の巣のように接しているのかはわかりませんが、仮にそうであったとしても、別の宇宙に行くためのトンネルは我々の目で直接は観測できないのです。

 もちろん、それらしき塊(ホワイトホールから吐き出されたものでできた塊のことです)を見つければ存在を予測することは可能かもしれませんが…。これ以上考えていくと、その塊の質量が大きくなった時にそれがブラックホールになるかもしれない、なんて考えも出てきますが、ここでの議論はしません。

 

② 宇宙の外側には、別の宇宙があるPart2


 ① で論じた、我々の外にある宇宙についてですが、もう一つの見方ができます。それは、我々の宇宙は別の宇宙に内包されている。というものです。「宇宙in宇宙」です。

 もし、この時、我々の宇宙を包むさらに大きな宇宙から見た我々の宇宙はどのようなものに見えるのでしょうか。大きく二つに分けて考えて見ましょう。

 

〈観測は難しい〉

 一つ目は、我々の宇宙から見た別の宇宙が現状観測不可能なように、我々を包む宇宙からも我々の宇宙の観測は難しいという考え方です。もちろん、我々の文明を超越したような技術力持っていれば、観測は可能なのかもしれませんが、仮に観測できたとしても、はっきりと見えるという選択肢以外に、「どうやら私たちの宇宙にもう一つ宇宙らしいのが浮いているが、どうも観測は難しい。いわんや、その中がどうなっているか知ることをや」というような状態になっていることも考えることが可能です。

 

〈外側の宇宙は内側の宇宙を認識している〉

 二つ目は、我々の宇宙を包み込むさらに大きな宇宙は、完全に我々の宇宙の存在を認識しており、観測することも可能であるという考え方です。その場合、外の宇宙にいる生命体が優れた文明を持っていなければ、我々が遠くの銀河を見ているように「ああ、あるんだなあ」と思ってみているだけであると考えられます。

 ちょうど、我々が金魚鉢を見るように我々の宇宙を見ているかもしれませんし、金魚鉢の中の金魚のように我々は何者かによって育てられているかもしれません。
 もし、向こうがこちら側の宇宙にアクセスする方法を持っているのならば、宇宙外生命体なんてものも定義できるかもしれませんね。
 そして、宇宙がさらに大きな宇宙に内包されているという考え方は人体にも似ているところがあります。人体という大きな形の中には細胞というものが存在しています。その中にはミトコンドリアなどのさらに小さなものがあり、当然それらも…。というように、ないほうに内包を重ねて我々の世界は構成されています。

 我々人間も、昔は宇宙なんてものの存在は知りませんでしたが、今は近くできていますよね。もちろん、規模が大きくなれば構造は複雑化していくことは火を見るよりも明らかです。

 我々の宇宙を人間。内包する宇宙を地球。そのように考えると、この②で論じているような可能性を真っ向から否定することは簡単にはできないはずです。とはいえ、仮に我々の宇宙が何かしらの一部として機能しているとしても、いまのところ我々には全く関係のない話であります。

 

以上。今回は宇宙の外側について2つの視点から考えてみました。

次回は、後半について論じていきます。

 

華谷 忍

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