華谷忍の妄想科学哲学

日々妄想した「もしこうだったら」「実はこうなのでは?」ということを徒然なるままに。非科学的であろうとも考えてみる。がモットー。

未来が過去を規定していると考えたら・・・?[1]

今回から、『華谷忍の妄想科学』。はじまります。

科学的に正しくないことであっても、「こう考えたらどうなるのかな?」ということをただただ書き綴っていきます。

 

これを読んで、考えることって楽しい。って思ってもらえればうれしいです。

 

第1回は、「未来が過去を規定していると考えたら・・・?」というテーマです。

 

<導入>

 皆さんは、「時間」について考えたことがありますか?いきなり、出だしから何を言い始めるのかと思う方も多いでしょう。しかし、私たちの生活の中で普通に存在していて特に気にも留めないことについて、あえて考えてみるというのも面白いかもしれません。

 もし、世の中で大多数の人間が“そう信じて疑わないこと”に疑問を持って考え、そこから導き出された結論がある程度の妥当性を持っていたとしたら面白いと思いませんか?どう考えてもおかしいけど、あながち間違いであるとは言えない、そんなことについて本書では論じてみたいと思います。

 

<一般的な時間の概念について>

 「時間」とは目に見えないものです。とはいえ、何かしらの道具を使えば、例えば時計を使えば、確かに存在しているものが時間です。しかし、直接観測すること自体、我々にはできません。

 そんな「時間」ですが、一般的には過去から未来へ一方通行でしか流れないとされています。もちろん、タイムスリップなどの例外はあると思いますし、タイムスリップを大真面目に研究している人もいます。物理学的にも、(相対的な)時間を止めることはできます。わざわざ(相対的な)と書いたのにも理由がありますが、それは相対性理論といってまた難しい議論になるので今ここで扱うことは控えたいと思います。とにかく、ここで重要なことは「一般的に、世間の大多数の人間は時間の流れは一方通行だと考えている」ということです。

 

 そして、一方通行であると思っていると同時に「過去が未来を規定している」と考えていると思います。普段、時間について考えない人が大半だとは思いますが、このような話題を振られればそう答えるでしょう。皆さんもそうだと思います。具体例を一つ挙げてみましょう。そうですね。なるべく身近な例がいいと思うので“ドラえもん”を取り上げてみます。ドラえもんの世界では、のび太の子孫にあたる人にセワシ君がいます。どうしようもない先祖であるのび太のためにドラえもんはわざわざ未来からやっていましたね。セワシからしてみれば、のび太が誰と結婚するかということは未来の世界での自らの存在そのものに関わるわけです。

 

 ここで重要なことは、未来から過去にドラえもんが来たことではありません。それでは世間の人々は時間の流れを一方通行と考えているという前提に本書の冒頭でいきなり水を差してしまうことになります。ここで問題となることは、セワシ君の行動です。自らの今存在している「未来」という場を変えるためには、のび太のいる「過去」を変えなければならないと彼は考え、そう行動しているわけです。そして、実際にのび太の世界でも我々が現実に生きている世界でも、過去を変えれば未来が変わります。未来を変えるためには現在(未来から見たときの過去)の行動を変えなければなりません。

 

 もう一つ例を挙げてみましょう。今度は我々の日常生活に落とし込んで、「過去が未来が規定している」ということを、さらに身近に考えてみます。一本のニンジンが机に存在している場面をイメージしてください。それを、カットされた状態へと変化させるためには何が必要でしょうか。当然、“切るという行為”そのものですよね。では、“カットされたニンジン”から見た“切るという行為”は過去に存在しています。また、“カットされたニンジン”は“切るという行為”つまり過去の行為によってカットされた状態(カットされたニンジンの状態は“切るという行為”から見れば未来のことです)になっているわけです。これで、過去の現象が未来の状態を規定していることが一般的には間違いのないものであることが分かったと思います。

 

 現在、一般的にはビッグバンによって“我々の考える時間という概念”がスタートしたとされています。ホーキングという物理学者は虚数時間によって宇宙の始まりを説明しようとしていますが、それは我々が生きる実数時間とは違う時間の概念ですしまた複雑な議論になってしまうので、ここでは我々の考える時間という概念=実数時間だと定義しておきます。話を戻すと、「過去が未来を規定している」と考えたときに、規定している先をずっとたどっていったらどこにたどり着くのかということについて疑問が出てくると思います。もちろん、時間の始まりに収束をするわけですが、これが先ほどのビッグバンであると考えるのがここでは妥当だと思います。なにせ、我々の考えている宇宙や時間、化学物質などの始まりはこのビッグバンという現象なのですから。

 

 ここで注意しておきたいのが、ビッグバン説が必ずしも普遍的に正しいとされている宇宙の始まりに関する学説ではないということです。もしかしたら、我々の考えを超越するような誕生の仕方をしているかもしれませんし、そもそも誕生とか終わりとかそういう概念で説明できるものではないかもしれませんから。ただし、本書は分かりやすく考えてみることがテーマの一つですのでビッグバン説をもとに議論を進めていこうと思います。

 

 過去が未来を規定すると考えた場合、我々が納得できるような一定の妥当性のある結論が得られることが分かりました。もちろん、ここでは簡単にしか論じていないのでもっと深く議論すれば粗はいくらでも出てくるとは思いますが・・・。

 

 次回は、導入部分で書いた「世の中で大多数の人間が“そう信じて疑わないこと”に疑問を持って考え、そこから導き出された結論がある程度の妥当性を持っていたとしたら面白いと思いませんか?」という問いかけに対して、具体的な議論をしていきたいと思います。既存の考えである過去が未来を規定するという考え方とは逆の考え方をします。ずばり「未来が過去を規定している」という仮定をもとに議論していこうと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

華谷 忍